建築学生が語るミラノの建造物
847 名前:建築学生その2 :02/08/12 19:38
あえて訂正に入らせて頂きます
●FIERAは最近ではないです。戦前からありました。
1800年代にP.zza d'Armi と呼ばれた現在の敷地に1906年、ミラノで初めて見本市を行ったのが始まりです。
その後1920年初頃に最初のFIERAが建設されました。しかし戦時中、1943年の戦争の爆撃でほとんど
破壊されましたが、戦後Giuseppe De Finetti の都市再生計画の上に次々とイタリアの名建築家
(P・L・Nervi、A・Bianchetti、C・Pea、M・Bega、I・Gardella)が新FIERAの建設に当り、
その後1987年正面に”バベルの塔”を思わせる建築言語を用いてM・Bellini が700mに渡る回廊形式の
巨大な新見本市会場を完成させたのです。
たき〜のさんがHPなどから下ろしてズラズラとお書きになったと思われる名前はたんなる協力者で、
主任建築家は80年代に東京でもデザインセンターを建てたMario Belliniです。

849 名前:建築学生その3 :02/08/12 19:40
●サンシーロも最近ではありません。戦後です。スタジアムの歴史は古く、
1800年代から馬場として使われていた土地に1920年頃、競馬場(Ippodromo)が
建設されたところです。サンシーロの正式名称はStadio Civico S.Siroで1926年の戦後に建設されたものです。
その後50年代に拡張工事が入り、最近では1990年のワールドカップ開催により
G・RAGAZZI、E・HOLFFERが”増築工事”として外部の巨大な柱と屋根が付加されただけ
に過ぎないのですよ。ですからオリジナルは1920年代のものです。

850 名前:建築学生その4 :02/08/12 19:41
●ドゥオーモ広場からCordusioへのメルカンティ通りへの貫通は、正しくは
1867-1878年の800年代です。メンゴーニの”ヴィットリオ・エマヌエーレII世のガレリア”計画に
派生し、中世時代(1500頃)の旧官庁街であった現在のメルカンティ広場及び現在廃墟のような
ポルティコの建物Palazzo della Ragione(1233年)、その裏にあるNuovo Broletto広場(1228年)に
通行を開ける為に計画されたものです。
更に付け加えるなら少し西に行ったアンブロジアーナ図書館(絵画館)とその裏のサン・セポルクロ広場は
ミラノのローマ植民地時代”メディオラヌム”の中心地であった場所です。古いローマ帝国時代のフォロが
あった場所で、ミラノ建国前の古代都市心臓部であったところです。このように、この当りはローマ帝国時代から
中心地となった古い歴史があるのです。

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