小野田線本山支線掲示板(旧型国電掲示板)

鉄道全般ならOK! ホームページの感想もどうぞ   運転士 伊藤純一


過去ログ集です。


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はっきり覚えてないですが… 投稿者:七久保 投稿日:10月 9日(月)22時59分14秒

●モハ62の屋根> ほりの様
 >さて、便乗で質問して誠に恐縮ですが、身延線のアコモ改造車モハ62は
 >パンタグラフがPS23ではなく、PS13のように思います。
 >あれも何らかの対策がなされているのでしょうか?

あれ? モハ62って部分低屋根ではなかったでしたっけ?って思ったんですけど。
よく覚えていませんが、ちょっと調べて見ます。←調べてから書け!

●お役に立てたようで> 西ナハ様
 >七久保様のHPを拝見させて頂きぶどう色2号時代の64の幌枠確認させて頂きました。

お役にたてたようで、よかったです(^.^)。写真が小さく申し訳ありません、
そのうちもう少し大きな物にしたいのですが…。


モハ62は? 投稿者:ほりの 投稿日:10月 9日(月)22時08分28秒

運転士様、皆様お久しぶりです。
大宮工場はぜひ参加したいのですが、まだ確定していません。m(_ _)m

さて、便乗で質問して誠に恐縮ですが、身延線のアコモ改造車モハ62は
パンタグラフがPS23ではなく、PS13のように思います。
あれも何らかの対策がなされているのでしょうか?

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/8113/


Re:身延線のモハユニ61 投稿者:運転士 投稿日:10月 9日(月)20時52分19秒

毎度ご乗車有難うございます。運転士の伊藤です。


10月の連休如何お過ごしでしょうか?私は久しぶりにゆっくり
することが出来ました。
幌ページの訂正・追加もしなければ・・・。

Coralwayさんの書き込みの、身延線のモハユニ61についてですが、
>同線の小断面トンネルにより、恐らくは代用クハユニとして運用したようですが、この際
>にはパンタグラフは撤去されていたのでしょうか?

ですが、今、資料無く記憶で書きますが、御存じの通り、身延線は、他線区にくらべ、
トンネルが小さく、そのままでは、パンタが折りたたまれしまいます。
そこで、屋根を低くし、パンタグラフの上下運動?に余裕を持たせた低屋根化改造
が施行される訳ですが、モハ32やモハユニ44等が身延線入りしても、改造や
改番されるのにかなりブランクがあると思います。では転属して、動かさずにいた
のか?となりますが、そんな事はありません、バリバリ使っていました。

勿論、前出の様に、そのままでは、駄目なので以下の工事を施し対処したそうです。
1:車輪の小径化 通常910mmの車輪を付随車と同じ860mmにする。
2:パンタの改造 パンタに改造を施し、通常より低くなるようにした。
以上の事をして、運用に入っていました。

当時の写真が電車回想録III(3巻)に載っていたと記憶しております。
その後、絶縁に関して、強化され、上記改造では済まされなくなり、屋根を
低くする、低屋根改造が始まりました。最初は屋根全体を改造し低くする方法で、
パンタ、通風器の位置はそのままでしたが、後に、パンタ部分のみの施行となり、
パンタを後位に移動させ、通風器を移動させていましたこの改造、方法は、PS
23が登場するまで、とられました。一番分かり易いのは、クモハユニ44の800
〜802と803の違いでお判りと思います。

また、中央線(東西両線)ではこの方法で
115系300番台以降は普通屋根で、小断面トンネルに入線出来る様になりま
したが、身延線ではそれでも高く、後に投入された、115系2600番台(モハ
のみの区分)ではさらにパンタ取り付け部分が低くし、身延線へ投入されています。
800番台より低くないので、600番台の区分を設け、その後クモヤ145にも
その区分は発生しています。JR化後JR東海が新製した車輌は、全車、身延線に
入線出来る様になっているそうで、シングルアームパンタでも同様だそうです。
また、現在大月や、河口湖まで定期で入線している201系ではPS21のPS
23版とも言えるPS24が使用されていますが、今年夏頃よりPS35(シン
グルアーム)への交換が始まっており、昨年は115系が施行されました。小断
面トンネルの影響をいまだに引きずっているんですね。
トンネルを掘り直すより、安いんでしょう。

ちょっと長くなってしまいましたが、モハユニ61は電動車としても使用可能
でした。しかし、今、私ではどのように運用に入っていたのかは、判らないです。

なんか、長々と書いた上に判らないと言う事で申し訳ございません。


身延線のモハユニ61 投稿者:Coralway 投稿日:10月 9日(月)17時15分38秒

大変お久しぶりです。
家の中を整理中に国電ガイドブック(上巻)が出てきまして、作業そっちのけで見入ってし
まいました。さてその中にクモハユニ64のページがありまして、過去には身延線にも入線し
たと載っていました。同線の小断面トンネルにより、恐らくは代用クハユニとして運用した


73の床下機器 投稿者:西ナハ 投稿日:10月 9日(月)00時44分06秒

皆様、今晩は西ナハです。
73の床下機器について解らないことがありますので、どなたか宜しくお願いします。
モハ72500〜の電気側の主な床下機器配置は向かって左より主抵抗器、主制御器、遮断
機の順番となっています。
旧63改造の原型クモハ73及びモハ72の電気側の主な床下機器配置は向かって左より
主抵抗器、主制御器、遮断器の車と遮断器、主制御器、主抵抗器の順になっている車の
2種類が存在することが解りました。当初奇・偶数車の違いだろう程度に思ったのですが、
車番を見てゆくとそんな単純では無いことが解りました。すなわち同じ偶数車でも2種類の
機器配置があるのです。
この理由についてご存じの方おられましたら宜しくご教示下さい。
また、前回投稿の64幌について文中ではクモハ50前位とクハユニ56後位の・・・と
書きましたが、これはミスでクモハ50前位とクモハ54の後位と訂正させて下さい。
尚、連結面間距離には影響しません。
それでは、おやすみなさい。


最近の話題から(2) 投稿者:73大好き 投稿日:10月 9日(月)00時03分40秒

 こんばんは、最近の投稿ラッシュでどの話題から手をつけてよいやら。

◆旧国時代の原体験 
 さて、2ヶ月の沈黙を破り突如現れた南ヒナ様は、相変わらず旧形電車が活躍してい
た頃の情景を語らせるとピカイチですね。

【ナハ・ヒナ行進曲】 南ヒナ様投稿: 2000/10/05
> 陸橋から見える新鶴見操車場の風景、これも良かった。
> 雪が屋根に積った貨車を見ては、子供ながらに「遠い北国から来たんだ」なんて
> 感慨に耽ったり。

私も同じ様な思いを大宮操車場で抱きました。それに現在とは違って積荷に応じて様々
な種類の貨車もあり、見飽きる事がありませんでした。

 西ナハ様の幼き日の想い出話も胸に来ました。パンタを降ろす夕刻の73・・・
ジーンと来ます。黄昏の旧国って絵になりますよね。

◆久里浜の冠水事故
 のんちゃん様も悔やまれている水没した73形の顛末ですが、廃車とした理由に部品
が揃わないといった事情もあるようです。大井工場手持ち部品では足りず、さりとて当
時はまだ旧63形の一部がボチボチ廃車になりつつある程度で、72500〜や793
00の老朽廃車も始まっていませんし、だいいち直したところで所詮は間もなく淘汰さ
れる73形に金を掛ける事も無いと判断したのでしょう。(もし水没車が103系や1
13系だったなら直していたと思います)また、水没車の一部は被害状況調査の為に大
井工場へ運ばれたらしいのですが、輌数・番号は未確認です。

お休みなさい。


七久保様ありがとうございます 投稿者:西ナハ 投稿日:10月 8日(日)01時23分59秒

七久保様はじめまして西ナハと申します。今後も宜しくお願い致します。
七久保様のHPを拝見させて頂きぶどう色2号時代の64の幌枠確認させて頂きました。確
かに幅広幌枠が装着されていました。どうも南ヒナ様の推察とおり飯田線入線で改造された
と考えるのが自然なようです。ここで自己満足な推察をしてみたいと思います。連結面間距
離800mmで両持ち幌使用の場合で、両車が幅広幌枠(200mmと仮定)を装着していれば
各幌の伸長は(800−200−200)÷2=200mmとなります。一方クハユニ56後
位とクモハ50前位(幌枠らしい物無し)の連結部の各幌の伸長は(800−200−0)
÷2=300mmとなります。従って岡オカ時代の薄型幌枠の幅を仮に50mmとしても(80
0−200−50)÷2=275mmとなりクハユニ56+クモハ50の場合の幌伸長よりも
短くて済みます。よって両持ち幌用の幌吊りさえ取り付ければ何ら問題は無い様に思えます。
しかしながら実際は幅広幌枠に取り替えているところより両持ち幌と片持ち幌(岡オカ時代
は片持ち幌使用)の断面形状が異なっているのではないかとの結論に到達しました。皆様い
かがでしょうか?七久保様の伊那谷の古強者の写真大変懐かしく思いました。当方は流電引
退と共に3扉車主体となった飯田線より足を洗い、今ではたまに『さよなら!流線形クモハ
52SKD(H)531』を聴いて当時をたそがれています。七久保駅では撮影行の際、駅前食堂で頼
んだカツ丼が出てくるのに1時間もかかり電車に乗り遅れた苦い経験があります。それでは
おやすみなさい。


東鉄の貫通扉 投稿者:73大好き 投稿日:10月 8日(日)01時01分44秒

 こんばんは、本日の話題は一点集中で行きます。

 田中様ご質問の東鉄における貫通扉(貫通形運転台の貫通扉)は南ヒナ様の推察通り
であり、使用していない模様です。
 この原因は戦前の東鉄では運転台ではなく客室の貫通扉ですら非常用としての位置付
けであり、普段乗客が行き来出来るようになっていなかった事からも窺い知れると思い
ます。当然ホロもありません。(南ヒナ氏も指摘されている横須賀線は除く)余談です
が、63形までの客室貫通扉は運転台の貫通扉と同様開き戸式で、室内側に開くように
造られていました。この構造が桜木町事故の時、パニック状態の乗客が殺到して扉を内
側に開けなくなる原因となり、引戸式扉&ホロの設置に改める契機となったのです。更
に付け加えると、63形更新車でも初期改造分は貫通扉が無く間口も狭い車があり。7
2500〜・79300〜の初期製造車は木製貫通扉でした。
 この様な状態でしたから東鉄でのホロ枠付クハ、クモハは例外で珍しい存在です。

では


64増設側の幌 投稿者:七久保 投稿日:10月 7日(土)19時05分06秒

久々に書き込みさせていただきます。皆さんの観察力の鋭さには関心させられてばかりで、
大変参考になります。

●クモハユニ64の幌> 南ヒナ様、西ナハ様、他の皆様
 >ママでもブドウ色で活躍していましたから、
 >スカ色塗替えの際(全検の時)にでも直したのでしょう。

伊那松島に配置後のクモハユニの幌ですが、茶色時代に既に両持ちの(つまり、幌両端に
幌吊りバネが付いている)タイプに改造されているようです。
なので、飯田線運用に付く際に改造がなされた可能性が高そうですね。

ちょっと小さいですが、当方のHPに茶色時代の同車貫通路側の写真がありますので、
参考になさって下さい。(下リンクで、40系列の項目の中にあります)

http://www02.u-page.so-net.ne.jp/da2/mtr213/nanakubo.htm


モロモロ 投稿者:南ヒナ 投稿日:10月 7日(土)16時16分18秒

こんにんちは。

田中さん、片町線の思い出拝読しました。
昭和40年代、切妻電車をメインに見て育った私には羨ましい乗車体験!
大阪圏の旧国というと、流電や阪和が話題の中心になりがちですが、
珍品博物館だった片町線も実に味わい深い路線ですよね。
電車線の終点、長尾駅の風景も渋い。
坊ちゃん刈りスタイルや半流のクハ79など、東京では想像も出来ません。
前面の球形通風器やオレンジ塗装は、今でもちょっと違和感があります。
この辺で好き嫌いが分れそう。

大ヨトにいた電装解除サハ78はパンタ台がキレイに撤去されていましたね。
オレンジに御化粧されて、南武にいたボロ車達とは好対照。
その南武にいたのが、モハ30。
淀川と新前橋へ移り、その後の転属は無かったので、
クモハ31同様、この車両を見たり、乗車した人も少ないのでは!

球形通風器に関しては数日前、
クモハ73近代化改造・大井施工初期車に取付の話題がありました。
同工出場第一号車である079の写真があり(昭和38年12月)、
小さくて判別しずらいのですが、これは109の物よりも大鉄形に酷似して見えます。
雨樋は、ちゃんと隠れていますね。
サボ箱は109に似た厚手の物です、これは?
73大好きさん、詳細調査宜しくお願いします。

西ナハさんの幌追求シリーズ、
手持ちの資料を調べてみました。
「国鉄電車回想」掲載のクハ55310、確かに幌付きだ!
昭和34年11月のダイヤ改正時、
常磐線の9連化で発生する制御車不足を補う為、
マト・シナ・ヒナのサハ57をクハ化した第一陣の内の1両です。
同書掲載の編成例によると、
クハ55が基本と付属で向合う編成もあったようですから、
この場合、幌が使われた時期も存在したのでしょう。
松戸から北松本に転属後、便所取付され436(一時期は435ダブリ)に
なりましたが、その後の写真が見当たりません。
田中さんのホーム・ページ掲載車は434、残念。
恐らくマト在籍時代に幌のみ外されたと推測します。

クモハユニ64増設側の疑問に対する調査を最後に。
まずは毎度お馴染み「省線電車の走るところ」宇野・山陽・赤穂線編より。
『なお貫通ホロ枠は平妻であるから厚手のものがつくところ
 丸妻用の薄手のホロ枠がついているので、貫通式にした際、
 相手のホロが無理して引っ張られている』
つまり岡山運転区転属で増設側を貫通化した時の施工ミス!になる訳ですね。
吹田工場での改造なのでしょうか?
履歴を見ると、その後シスに一時籍を置いてママに移動しますが、
その移動途中と思われる昭和52年9月の写真でも薄形枠、はっきりと確認出来ます。
横浜での撮影となっていますが、大船工場でひと休みか。
ママでもブドウ色で活躍していましたから、
スカ色塗替えの際(全検の時)にでも直したのでしょう。
飯田線関連は詳しい方が多いですから、もっと正確な情報を頂けるかもしれませんね。
この車、前面の運行窓は2桁で、増設側は3桁の変則車でもありました。

デハ。



以上は、2000年10月7日〜2000年10月9日までの記事です。

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