首都圏で廃止になった旅客営業路線
昭和59年3月、神奈川県の中央部を走る1つの支線が廃止になった。
茅ヶ崎から橋本までの非電化路線、相模線。その途中寒川から分岐する
相模線西寒川支線である。元は私鉄の相模鉄道(現相模鉄道とは違う)
の相模川の砂利採取輸送路線であった。国によって買収され戦後は近隣
工場への通勤に使われていたそうだが、乗客は減りついに廃止になって
しまった。詳細は関係諸氏のサイトにお任せしましょう。
当時は中学生だったので、たいした写真は撮れなかったがここに公開し
みた。大事な部分や貴重なところの取り逃しはご容赦願いたい。
小さい画像をクリックすると、長辺640ピクセル相当の画像が見れます。

これが西寒川駅、短いホームが1本あるだけ。小野田線本山支線の内陸版とでも
言えそうな屋根だけの駅。記憶では路線バスも大した本数はなく近隣の工場への
通勤は自家用車のようであった。

たぶん、8時33分発であろう列車。記憶では茅ヶ崎行だったはず・・・
よく見ると3連だけど、基本は2連だった気がする。

行ったのは廃止直前だったので、朝の1本が行ってしまうと16時過ぎまで列車
は来ない。貨物すらなく、このあとは夕方の3往復だけである。線路歩くなよっ
って思っても、当時はこんなでしたね。(時効でしょう)

駅の屋根下にあった時刻表、見てのとおりである。たしか全部茅ヶ崎まで行って
いたはずであるが、知りたい方は当時の時刻表を参照下さい。

オリジナルが盗難にあったのでしょうか、だれかが、作った駅名板(紙?)の上から
国鉄製であろう、駅名紙が貼ってあった。

寒川近くの分岐地点近く。さすがにこれ以上は行きませんでしたが、腕木式信号
がちゃんと見えますね。ここから4〜50m行ったところが分岐点でして、手動で
切替えをしていました。

最終日の記念列車。どういうダイヤだったかは、忘れてしまいました。
(この画像だけこのサイズになっています。大きな画像は出ません)
何度か行ったけど、全部自転車で行ったので、西寒川支線には乗らず
仕舞いで、記念切符や車補等は買えませんでした。この一連も12枚
撮り1本で収めてあり当時の財政状況がどんなものだったのか判りま
すね。
1984年3月撮影。(たぶんAsahi Pentax SP+Takumar55mmF1.8で撮影)
分岐以西の一部が遊歩道として残っており、軌道もわずかに残っている。
相模線はその後電化され、1時間あたり約4本になっているが、当時は、
寒川止まり、厚木止まり等が有り厚木〜南橋本が極端に少なかった記憶
があるが詳しくは忘れた。また、茅ヶ崎からは北茅ヶ崎までのセメント、
厚木(本屋)までの米タン(以前は米タンとセメント)が、橋本から南橋
本までの貨物(荷は忘れた)がそれぞれあったが、分民化前に減ったり廃
止になったりで、電化後も残ったのは米タンだけだったようだが、それも
今は休止(スジあるらしい)になってしまい、205系だけの路線になっ
ってしまった。205系は相模線線専用の500番代という区分が出来た。
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