薄染の面紗 light-dyeing veil

032300

 

 

04

 

私の、王覇に対する恨みは、日に日に募っていった。 

抱かれるごとに、私の中で闇が燻っていく。 

破壊を望むその声が、私を内から壊そうとする。 

だが・・・その度に、紅蓮の炎が過ぎっていくのだった。 

彼女の、彼らの、苦悶の悲鳴と共に・・・。

 

           

神神。 

彼らに幻想を抱いたのは、何故だったろうか? 

見たこともない彼らに期待し、救いを求めた自身が、滑稽でならない。 

彼らを知った私の胸には、無残に砕け散った幻想以外、何も残りはしなかった。 

闇の中に散っていく数多の魂を、彼らは見下しながら見送る。 

伸ばそうと思えば伸ばせる手を、差し伸べずに。 

助けられる人を、助けずに。 

それが、彼らだった。 

そう、それが、彼らだったのだ。

 

 

「ゼルヴィール」

それは、私の名ではない。 

胸の中に反発が生まれる。 

それは、あいつが付けた名だ。 

人であった私が、別のモノと化した証に。 

だが、私は、私の名を、既に思い出せなかった。 

思い出すには、月日が経ちすぎていたし、また、私の精神は病んでいて、その頃の記憶をほとんど喪失してしまっていた。 

「あの方のお気に入り・・・」

私に聞かせるように語られる言葉。 

陰で言われる方が、ずっといい。 

彼らは、私を甚振って楽しんでいる・・・。 

私の反応を見て、嘲笑っているのだ。 

元々が高慢な彼ら。 

そうとしか思えない口調。 

私は、早く逃れたかった。 

だが、あいつから逃れられる筈もなかった。 

あいつは、神神の中でも最高位にあるモノ。 

足掻いたところで、面白がられるのがオチだ。 

だが、それでも足掻かずにはいられなかった。 

「元は、人間だと言うではないか」

人外のモノになど、なりたくてなったわけではないのに・・・。 

「あの方に次ぐ力を、与えられたらしいな」

役に立たない、こんな力など、いらなかった。 

私が欲しいものは、こんなものではないのだ。 

 

           

早く、ここから逃れたい・・・。

 

           

閉じられた世界の中で、闇だけが巡っていく。 

逃れられない苦痛の世界は、あの時、始まったのだ。

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 

騒めき。 

全ての村人が集められた、広い社の境内。 

あまりに静かな村の風景から、かけ離れたそこ。 

祭りのある日のように賑やかで、だが、そうではないとわかる程の、負の緊張感が漂っている。 

 

           

私が社の境内に入ると、一人の女がそれに気付いて私の側に駆け寄ってきた。 

ララララ・・・名さえ思い出せない、私の妻になる筈だった女。

泣きそうな顔をして、彼女は私の胸の中に飛び込んできた。 

その、長い黒い髪は、きっちりと纏められていずに、宙をぶらぶらとさまよっている。

私は、震える彼女の身体を、そっと抱いた。 

それ以外に、どうすればいいのか、わからなかった。

 

 

「女を生け贄に」

そんな囁きが、何度も何度も聞こえてくる。 

冗談じゃない。

彼らの視線は、彼女の上にあった。 

彼女を見初めた神が、彼女が人間と結ばれるのが気に食わないのだ、と。 

彼らは思っているらしい。 

そんな筈がない。   

 

           

社への道。 

私は、彼女を伴って進んでいく。 

粗末な社の前に立って、私は、じっとそれを見つめた。 

私には、本当に信じられなかったのだ。 

神が・・・。 

私は、神に向かって問い掛けていた。 

何故、と。 

その言葉が漏れると同時に、社の扉がバタンという音と共に開かれた。

風もない。

不自然な力によって開かれたとしか思えない・・・。 

私を招くように、扉は開いている。 

私は、行かなければならない気がした。 

彼女と私の未来の、為に? 

そうだっただろうか? 

だが、その時、そう思ったのだ。 

きっと、他の者もそう思っていたに違いない。 

ただ、村の者達は、私ではなく、彼女がそこに行く事を望んでいたのだろうけれど。 

「その女を社に」

「神は、彼女を求めておられるのだ」

「村の為に」

「我らの為に」

所々から狂気を孕んだような悲鳴と怒声が上がった。 

ざわめきが、その場に満ちていく。 

腕の中の彼女が恐怖に身じろぎした。 

誰かが、彼女の腕を取ろうとする。 

必死で彼女を守りながら、私は声を上げていた。

「彼女の代わりに、行けばいいのだろう?!」

           

一瞬の静寂の後に、より大きな騒めき。 

境内は、非難めいた怒声に埋め尽くされていった。 

「何を馬鹿な事を」

「男では満足するまい」

「女を捧げよ」

 

「うるさい!」

震える彼女の肩。 

私は、彼女をそこに送り込むくらいなら、自分が行こうと、決めた。 

少なくとも、私の前に現れたあれは、『神』の化身だった筈だ。 

その真意を聞いてみたかった。 

私は、そっと彼女の身体を遠ざけると、社の方へ踏み出した。 

石段を上ろうとした時だった。  

女の悲鳴が上がった。

「何を・・・」

呟いたのは、母だった。 

濡れた目を見開いて、彼女は私の前で首を振った。 

嫌がるように。 

           

かがり火の焚かれた境内は、何時の間にか静寂が訪れていた。 

私は、母の元まで戻った。 

そして、その額に手を当てて、なだめるように髪を梳いた。 

私の身長より低い母の、見上げる視線には、涙の跡が覗えた。 

その時、私は母と何か会話を交わしたのだが、既に私の記憶にはない。 

ただ、行かないで、という母の言葉は、耳に残っている。 

振り返ると、背後に立つ彼女と目が合った。 

彼女は、静かに首を振った。 

そうして、私の腕を掴むと、驚く程の強さで引くのだった。 

彼女も、最後まで、私を引き止めようとしたのだ。 

私は、その腕を無理矢理引き剥がすと、静かに首を振った。 

そして、安心させるように告げたのだった。

 

「大丈夫だ。  『神』が私達を悪くなさる筈もない。  すぐに戻ってくるから、待っていてくれ」

 

           

彼女は、必死に首を振って、私に縋り付こうとした。 

それを後ろから羽交い締めにして止めたのは、彼女の父親だった。

私は、少しだけ頭を下げると、彼女の悲鳴を聞きながら、歩き出した。 

社へと再び歩を向けた私の目に、父と兄弟達が見えた。 

幼い弟妹の、何が起こっているのかわからない、という無垢な瞳と、父の険しい顔。 

兄や姉の目。 

私は、この時の彼らの姿を、決して忘れる事は出来なかった。 

いくら記憶が風化して、母の顔も、父の声も、全ての人間を忘れても、あの、張り詰めた空気と、彼らの眼差しを・・・。 

それが、私が、彼らと永別した瞬間だったから。

 

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 

私は、社の扉を開けると、そこに踏み込んだ。 

普段は閉じられたそこは、何があるわけでもない。 

ただの、祭壇じみたものがあるだけだ。 

一度、背後を振り返ると、格子の向こうに村人達の顔が見えた。 

不安そうな、顔。 

皆、そこに跪いている。 

祈るように。 

それ以外に、何もする事が出来ないのだ。 

守られ過ぎたが為に、何も自らすることが出来ない彼ら。 

私も、その一人だった。 

私達に、村人の非難が集中していなかったら、私は同じように、その場で贄にされる者を、祈りながら見つめるしかなかっただろう。 

もう一度、私は彼女を見遣った。 

目線が合った気がした。 

瞬間、彼女は、不意に立ち上がって、こちらに駆け寄ろうとする。 

目を見開いた私は、すぐにほっと息をついた。 

彼女は、周りの人々に取り押さえられていた。 

くずおれるようにして、彼女はその場に座り込んだ。 

泣き叫ぶ声が聞こえた。

 

 

彼女を犠牲にしたくない。

『神』に許しを貰うのだ。

何としても。

私が失敗すれば、彼女は・・・。

 

           

ほうっと息をつくと、私は再び前方を見やった。 

そして、瞬間、息を呑んだ。 

先ほどの祭壇は、既になかった。 

あるのは・・・。 

その代わりにあるのは、豪華な寝台だった。 

何時の間にか、私は異界に迷い込んでしまったのかもしれない。 

美しい調度が設えられた、そこは、私がこれまで見たこともないもので溢れていた。 

そう思っていると、声をかけられた。 

若く、美しい声。 

その場に響き渡るその声音は、どこか人を陶酔させるようだった。

「そこにいるのは、誰か?」

私は、思わず後退った。 

寝台にかかっているヴェールの向こうから、ぬっと手が伸びた。 

美しい手だった。 

それ以外に、何の言葉も浮かばない程。 

息を呑む私の前で声は再び告げた。 

男の声が響いた。

「男か・・・、男でもいい」

その声に聞き惚れるように、私は呆然としていた。 

「退屈していた。  来るがよい」

男の、この世のものとも思えぬ美声に招きよせられるように、私は歩を進めた。 

それは、私が魅了されていた、ということなのかもしれない。 

ヴェール越しに、動く影が見えた。 

その腕の中に、私の身体は攫われた。 

男の動作は、流れるように優雅で、私に、何の疑問も抱かせなかったのだ。 

私は、その時、そこが社の中だと言う事も、私が、何故そこにいるのかも、そして、私の目の前の男が誰なのかも、気に留めていなかった。 

そう、まるで、何もわからない幼子のように・・・。 

目の前に、美しい若者の顔があった。 

ただ、美しいとしか言いようのない、それ。 

ごくり、と私は息を詰めた。 

私が、その男が、私達の村で言った所の、『神』であり、そして、その罠にかかってしまったのだ、と気付いたのは、全てが終わった後だった。

私がそれに気付かされたのは、ずっと後の事だった。

彼は告げたのだ、私に。

彼の目的は、私だった、と。

彼は、私を得る為だけに、私の村を・・・。 

そして、私は・・・二度と出る事の出来ない、檻の中に閉じ込められてしまったのだった。

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