1998年5月の冒険

ブルガリアの国旗

ブルガリアで冒険する 

第9回・「神不在の地、ブルガリア」 

By 冒険小僧 


神不在のブルガリア

踊りが学校で教えられるのなら、歌はどうなのだろう?かのブルガリアン・チャントが教会の聖歌であり、国民の八〇パーセントが正教徒なら、みな教会へ行って習うのだろうか?
「ガイドさんは正教徒なのですか?」
私が聞いてみると、ガイドさんはバツが悪そうになんとなくもぞもぞしている。
日本でイキナリこうして宗教の話に突っ込むと、うっさんクサイやつだなぁ!という視線で見られることがあるのだが、欧米で
「あなたは何の宗教を信じてるの?」
訊ねることは、別段「胡散臭く」はない。
日本語でいう
「どこの出身なんですか?」
くらいのもので、バックグランドを把握するきっかけのようなものではないだろうか。
あれ?何かワルイこと聞いちゃったのだろうか?
私は不安になりかけたが
「実は……共産党独裁政権の頃のブルガリアでは、宗教は奨励されなかったのです」
と彼女が言う。
「えっ?奨励されてないっていうのはどういうこと?宗教は禁止されてたってこと?」
「いえ、禁止ではありません。信じることはできましたし、教会もありました。ただ……共産主義政権に変わってからというもの、人々はみな生活のために共産党員になったのです。共産党は宗教を奨励していないわけですから、党員になった人は教会へおおっぴらに足を運ぶことが出来なくなったというわけです」
「じゃ?家でこっそり祈っていたりして?」
まるで隠れキリシタンだなとは思いながらも聞いてみる。
「いえ、近所の人の密告を恐れて、家で祈ることもしなかったようです。こういう時期を経て、ブルガリアの宗教というのは徐々にすたれていってしまいました」
ふーむ、共産主義というのはわかってはいたものの、想像していたよりも不自由なものである。

別に教会へ行かなくても祈ることはできる。心の中で祈ればいいのだ。祈る姿勢をとらなくても、野菜炒めを作りながらでも……祈ろうと思えば可能だろう。
要は何を祈っているか。
「幸福になれますように」
足繁く教会へ通って何時間も祈っていたとしても、自分の幸せを祈っているのであれば、全然敬虔なクリスチャンなんかではないことになる。
私にとっての神の教えというのは
「隣人を愛しなさい」
なのだ。
その隣人に密告されちゃうんじゃ、どう考えてもこの宗教は根付かないような気がする。
この後彼女にもルーマニアをどう思うか?という質問をしたのだが、やはり答えは
「大嫌いだから二度と行きたくない」
というものであった。
隣人であるルーマニアをどの人もここまで嫌がるというのは……、もしかしたら宗教のニオイの薄いブルガリアならではないのだろうか?
そんなことをふと考えたりするのである。


喧嘩売られる?

翌朝、近くのKFCでコーヒーと簡単な朝食をとることにした。注文をする時に
「コーヒーに、お砂糖とクリームをお使いになりますか?」
と聞かれ、あまり考えもせずに
「ええ、お願いします」
と答える。しかしそのとたん、レジを叩くお姉さんが一〇〇LEVと打ち込んだのである。
うわっ!ここじゃ、お砂糖とクリームにまでお金を取るのか!
驚いたので
「あの、お砂糖とクリームって有料なんですか?」
聞いてみると
「いえ、お砂糖はタダですが、クリームは有料です」
という答え。
店員さんがほら、という風にメニューの書かれたボードを指差すので見てみれば、なるほど
「コーヒークリーム一〇〇LEV」
と確かに書かれていた。
ごくたまにトマトケチャップにお金を取る国があるのは知っていたが、コーヒーに入れるミルクにチャージされたのはこれが生まれて初めてだ。見渡せばそこらでコーヒーを啜っている人々が手に持っているのは、みなブラックコーヒー。そうか、ブルガリアではコーヒーにクリームを入れるのは少数派なのだな……といまさらのように気付いたのである。

朝食を済ませ、カウンター右手にある店のお手洗いへと向かう。ドアは二つあったので
「よしよしこっちだな」
確認して入ったのだが、ドアを開けてみれば左手に見慣れぬ「アサガオ」の花が咲いている。
あれ?
とは思ったものの、ブルガリアはこういう作りなんだろうとあまり気にもせずに個室へと入っていった。
用を足して出て来ると、よたよたした感じのおじいさんがちょうどドアを開けて入って来たところであった。一瞬ぎょっとはしたものの
「おじいさんたら、きっと間違えたんだわ……」
そう思いなおし、堂々とおじいさんの横で手を洗って全く気にもとめずにお手洗いを出た。
席に戻ってハンカチで手を拭いたりなんかしてグズグズしていると、ちょうど出て来たおじいさんと目が合った。
すると、あろうことかこのおじいさん。ブルガリア語で何かをまくしたてつつ、人差し指で私を指差す。さらに、スゴイ勢いで私に向かって突進してきたのである。まるで今にも殴りかからんばかり。
「ひえぇーー」
横っ飛びに私は身体をかわす。この様子を見て店員も驚いたのだろう、ばたばたと近寄ってきておじいさんを止めに入った。
「どうしたっていうんです?」
店員が訊ね、おじいさんは世にもデッカイ声で私を指差しがーがーがなる。
店員は話をうんうんと聞き、たまに私の方に視線をチラッ、チラッとよこしたが
「まぁまぁ」
という風に何かおじいさんにを言って聞かせ、おじいさんはさも憤慨したという顔つきで私を睨んでお店を出ていった。
いったい何だっていうのだ。お手洗いに間違えて入って来たのはそっちの方じゃないか!私が
「きゃぁーーっ」
とか叫ぶのならまだしも、なんでおじいさんにここまで睨みすえられなければイケナイのだ。
店員は私に何かを説明してくれるのかと思いきや、私にニッコリ笑いかけるとささっとカウンターに戻って行ってしまった。
まったくもう、気分悪いんだから……私はちゃんと確認して入ったんだから、間違ってなんかいないのに。
ぶつぶつ言いながらふとお手洗いの方に視線を向けてハッとした。
そ、そんなはずは……。
慌てて近寄って確認すれば、二つのドアに描かれている人のマーク。男性用のが赤で、女性用のはなぜだか青で表示されていた。
私は自分の常識で勝手に判断し、「赤=女性」とドアを開けたはず。
そ、そういえば入ったところに「アサガオ」便器もあったっけ。
どっかーーーん。
私ったら、男性用のトイレに堂々と入って堂々と用を足し、しかも堂々と手を洗って
「なんでここにおじいさんがいるのだ?」
ぎょっとしたりしていたのである。
わわわ……。
「自分の常識、世界の非常識」というのは、こういうことを言うのであろう。
あっちゃー!おじいさんには悪いことをしたなぁと思う反面、何もあんなに怒らないでも……という気はする。
それにしても私が「うっかり間違えちゃった」ことを知りながら、黙ってニッコリしてくれた店員さんには感謝せねばならぬ。


日程に悩む

「十二時までに部屋をあけておくれ」
宿からはそう言われていたのだが、ヴェリコ・タルノボ行きのバスは夕方四時。出発までの間、宿に荷物を預かってもらって街歩きをするつもりであった。
「ヴェリコ・タルノボに着いたらどうしよっかなぁ」
そんなことを思いながらガイドブックをパラパラめくる。
実は私、この後のルーマニアでは、「トランシルヴァニア地方」というウクライナの国境あたりまで北上しようと目論んでいたのである。
ガイドブックと首っ引きで、ルーマニアの首都ブカレストからトランシルヴァニアまでを往復する日数を調べてみるに……どう考えても時間が足りないのである。ブルガリアのことばかりに精一杯で、ルーマニアのことなどまったく考えていなかった。
しまった!
トランシルヴァニアを諦める?
ヴェリコ・タルノボを諦める?
トランシルヴァニアに行かないと悔やんでも悔やみ切れないような気がする。かといって、このまま国境の町ルセからルーマニアへと向かってしまうと、私はブルガリアをただ走りぬけたような感じになる。ブルガリアの見所として有名なのは、リラの僧院とヴェリコ・タルノボ。そのどちらも私は見ることなく去っていくのだろうか。それも残念すぎる……。何より私はすでにヴェリコ・タルノボ行きのバスチケットを買ってしまっていて、これを変更できるかどうかも分からないのだ。
うーーむ。
唸っている場合ではない、決断は素早くせねば。
「よし、チケットが変更可能で、今からでもルセ行きのバスがあるのならこのままルーマニアへ向かってしまおう」
半分は自分の決断、半分は状況まかせというような気分ではあったが賭けに出た私はバスターミナルへ向かった。

しかして切符の変更は可能であった。ルセ行きのバスの時間は午後三時半、席も空いていた。
もうこれは
「ヴェリコタルノボを諦めて、ルーマニアへ行け!」
と誰かに言われているようなもの。
よしっ、急遽予定変更だ!
昨日切符を買った窓口に並んだのだが
「ここは予約だから、当日券を買うならあっちへ行け」
と追い払われ、後ろの窓口へ行かされる。
「この切符をルセ行きに変更して」
お願いすると、いかにも面倒くさそうにではあるが手続きをしてくれる。
ヴェリコ・タルノボ行きの切符というのは六三〇〇LEV、ルセ行きのは八三〇〇LEVなので、差額の二〇〇〇LEVのを払う。手数料は取られない。
切符を取り替えてくれるのかと思ったら、切符自体はそのまま。赤ペンで
「ルセへ変更」
と書いてくれるだけ。発券はコンピューターで行われるのだから、これではヴェリコ・タルノボ行きの私の席は「すでに売られたこと」になってしまうではないのだろうか?
そんな風にも思うのだが、なにやら台帳みたいのを何冊もひっくりかえし、座席番号を直してくれたので大丈夫なのかもしれぬ……。
ともあれ、私はこうして発作的にこの日ルーマニアへ行くことに決めてしまったのであった。計画なしの無茶苦茶といえば無茶苦茶、冒険的であるといえば冒険的というところか?


温泉モスク

こんな具合にイキナリ、ブルガリアを去ることになってしまった。
読者の中には
「なんだよ、リラの僧院とか旧都のことを読ませてくれるんじゃなかったのかよぉ」
不満タラタラのムキもあるだろう。
罪滅ぼしと言ってはなんだが、ソフィアの観光案内まがいのことをちょっとだけしてみようと思う。
実はブルガリア、一三九六年から一八七八年までの約五〇〇年をオスマン・トルコの支配下で過ごして来たという歴史がある。そんな背景があるからなのだろう。メインストリートのビトシャ通りでは、一五七六年に建てられたバーニャ・バシ・モスクが、一本ミナレット(尖塔)を天に突き上げている。教会の立ち並ぶ通りなのに突然このモスクの出現には驚くが、モスクの向かいの路地にはトルコ風焼肉のケバブ屋が立ち並んでいる。その付近には一九〇九年に修復されたというであるシナゴーグ(ユダヤ人の教会)があり、「コーシャーミール」と呼ばれるユダヤ人向けの食べ物屋が道端で営業している。なんとも「民族ごったまぜ」で私好みの雰囲気だ。
ルーマニアのことをあれだけ嫌っているというブルガリア人が、異教徒のトルコ系住民やユダヤ人達と普通に共存しているのは面白い気分でもある。
 
 
シナゴーグの外観
上部にある玉ねぎ型のドームはロシアっぽいが、まわりはなんとなくイスラムっぽい造り。
「ダビデの星」が彫られていなければ、いったい何の建物なんだか分からないだろう。
シナゴーグの入口
アングルもあるのだろうけれど、私は新彊ウイグル地区のウルムチで見た回教寺院を思い出してしまう。
「神様繋がってる」の法則のなせるワザだろうか??

シナゴーグの方は大きな南京錠が掛かっていて入れなかったが、バーニャ・バシ・モスクの方はなにやら大勢の人が出たり入ったりしている。
「礼拝でも行われているのだろうか?」
そう思って中へ入ってみるも、モスクの中はがらーーんとしていて人っこひとりいない。
おや?
不思議に思ってモスクの裏手に回ってみると、ベンチというベンチがブルガリア人らしいおじいさんとおばあさんに占拠されている。
はて、トルコ人でもなさそうなこの人々はなぜにこのモスクに集っているのだろうか?
不思議に思って観察していると、このモスクへ入って来る人々というのは、みな清涼飲料水の空き瓶だの、料理用の金属のボールなどの容器を手にしているのである。
ふと視線を泳がすと、ジャージャー水の流れる音がする奥の方にひとだかりが出来ている。
「街の中心地に涌き水?!」
思いながらも近付くと、コンクリートの土台からにゅっと鉄の棒が突き出し、水が勢い良く出ている洗い場のようなものがあった。みな持って来た容器にその水を汲んだり、顔を洗ったりしている。
「どれどれ、私も……」
さらさらと冷たそうな響きで流れる、水のところに手の甲を差し出してみた。
ところが
「あっーーーーーーーーっ!」
私はあまりの熱さに飛び上がってしまい、蹴飛ばされた子犬のようにピョンピョン跳ねた。
ぐえぇーー、なんで水道の蛇口からお湯が出てるのだぁ!
これは水なんかではなくお湯。涌き水じゃなくて「涌きお湯」だ。私がいつも入るお風呂のお湯より絶対にもっと熱い。
熱い熱いとひとりで騒いでいたのだが、汲みに来ている人は顔色ひとつ変えずに容器に「お湯」を満たしている。
あんなに熱いお湯をペットボトルなんかに入れて、容器はなんともないのだろうか?
不思議に思ったので、私も持っていた五〇〇ミリリットルのミネラルウォーターの瓶にお湯を入れてみた。
「べこっ」
いやぁな音がして、瓶はやっぱり案の定いびつにへこんだ。なぜ彼らのペットボトルは平気なのに私の瓶が駄目なのかというのはまことに不思議。
 

バーニャ・バシ・モスクはソフィアの「銀座通り」にある。
ここがモスクの裏手。ちょっと低い位置に蛇口があるので、かなりぐっとかがまないと水は汲めない。
一番手前のおじいさんが持っているのは、スプライトが入っていたのであろうペットボトルだ。
うーむ、なぜ溶けぬ
解けない謎である。

実は、ブルガリアはこういう「涌きお湯」が五〇〇箇所以上もあり、ソフィアだけでも四〇箇所が数えられる。
ここのすぐ横には一九一三年に建てられた古い「風呂屋」があったのだが、現在は閉鎖されている。「風呂屋」などと書いているので誤解されそうだが、公衆浴場とプールのほかにも物理療法や医療マッサージを施す診療所や相談所もあったというのだから、いわゆる湯治場という感じだったのであろう。
ここは本当にただ水道から「お湯」がジャバジャバ出ているだけなので、いくらなんでも水着になって浴びることができないが……、温泉に入りたければ町から九キロメートルほどのところにあるゴルナ・バーニャがいい。
五番のトラムに乗って「Gorna Banya Bat」で降りる。Batは「道」という意味なので「ゴルナ・バーニャ通り」とでもなろうか。
ここにはアリという少年と犬の面白い伝説がある。
アリは時々二匹の犬をともなって狩りに出掛けていたが、ある日この二匹が病気になってしまい、仕方なくアリはこの二匹を森の奥の沼に置いて来る。ところが二週間ほど経ったある日、アリは犬の吠える声で朝方起こされた。
「どうしたんだろう?」
と思ってアリが外へ出て行くと、捨てて来たはずの二匹の犬が元気に跳ね回っていた。
「むむ、これは何かある」
そう悟ったアリは大急ぎで沼のあった森のあたりの土地を買った。
……というものなのだが、後にこの近くに浴場が作られ、世界各国から人々が湯治に来るようになったのらしい。
一九二二年まで存在していたこの浴場を改装し、一九二七年に完成したのが現在のもの。温泉の温度は一九度から二〇度くらい、水は無色で無臭。鎮痛作用があり、血液中のヘモグロビンと白血球に作用するため細胞の再生に効果がある。胆石や泌尿器系の病気、肝臓病、自律神経調節障害、糖尿病、太りすぎ、ガス溜まりの治療に向いているのだそう。
パンフレットを見ているとなんとも色んなモノに効きそうだが、私は試していないので効能のほどは保証しない。
まわりにはカフェやレストランも多く、ビトーシャ山の景色もスバラシイと聞くので……ピクニックがてら出掛けてみると面白いかもしれない。
 
 

モスクの表にあった食べ物屋台に書いてあった某飲料メーカー(←ってバレバレじゃんかー!)の広告。
キリル文字が入っていると、なぁんかヘンな感じがする。
でもよく考えると、屋台の壁も赤くてオメデタイんだよな……。


ルーマニアへ

午後三時半だったバスなのに、待てど暮らせどバスは来ない。
バスターミナルにバスが入って来るたびに
「ねぇ、これはルセへ行く?」
と聞きまくるのだがどのバスも違うようだ。仕方がないので
「あなたはルセへ行くんですよね?」
「そう」
と肯いた兄ちゃんの横にべったりと貼りつき、この人に着いていけば乗り遅れまい……の戦術に出ることにした。同じくルセへ行くという人があちこちに
待っているのだが、誰一人としてオロオロはしていない。
「バスが遅れるのはよくあることよぉ」
そんなことを言いつつ、荷物を床に置いてぼったっているのである。
兄ちゃんに貼りついて待つこと三十分。
「ルセ行きが来たから早く乗るのだ!」
親切に教えてくれた兄ちゃんについて、急いで乗り込む。

ルセへ向かう道はなぜかあちこち水が溢れていて、洪水のようになっている。
「ああ、それでルセから来るバスが遅れたんだ」
と納得した。
タンポポやラヴェンダーの咲き乱れる道、虫除けの白い化粧がしてある木の幹。そんなものを眺めているうちに、温かかったブルガリアの人々の温度を感じつつ……私はいつしか眠りに落ちていた。


ブルガリアのヨーグルト(リクエストが多かったので……ひとこと余計なこと)

「ブルガリアへ行って来た」
と人に話すと
「どーだった?ヨーグルトの味は?」
会う人会う人に聞かれてしまう。
「めいじぶるがりあよーぐるとぉー♪」
なぜか、メロディー付きで歌ってくれる人もかなり居たのは……明治乳業さんの陰謀だろうか?
ぬぁんでそんなに有名なのだか知らないが、ここで書いてしまった方がよさそうだ。
誤解のないように言っておくが、ブルガリア人だけがヨーグルトを食べているわけではない。
ヨーロッパではあったりまえに朝食に出て来るし、中央アジアあたりでもポピュラーなら、ブータン人だって作っている。
実は「ブルガリア料理」の項で紹介した「ショプスカ・サラダ」にも掛かっていたのだが、書いた通り「パサパサしてて不味かった」という記憶しかない。
バイキングの朝食を食べた時に「ヨーグルトそのまま」も食べてみたが、サラっとしていてコクがない。ダイエットしそこねた牛乳みたいな感じであった。
はっきり言って「ブルガリアで食べたブルガリア・ヨーグルトよりも、明治ブルガリアヨーグルトの方がオイシイ」です。明治乳業さんの勝ちですから、もう許して下さい。(←なにを?)


 
冒険小僧/ぼうけんこぞう 
ふーーー、やっと終わりました。ブルガリア。次回からはルーマニア!もっともっと面白いことになるので、期待しててください。
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