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2003.11.7
『剣道の法則』 堀籠敬蔵
(2002年、体育とスポーツ出版社)
今月半ばに4段受験を控えているので、剣道に関する本は本当にたくさん読んでます(剣道の段位審査には筆記試験があるのです)が、その中から1冊選んでみました。
始めに言っておくと、この本、段位審査の筆記試験対策としては、非常に有用です。これ1冊あれば、他の本を読まずともまず試験対策はバッチリだと思います。が、少なくとも一般の人にとってはそんなことはどうでもよろしい。関係ないからね。この本の感想を書こうと思った理由は、個人的にこの本から「剣道が停滞している理由」を読み取ったからなのです。
別に間主は、そこまで剣道が「人気スポーツ」になって欲しいとは全然思っていませんが、本書を通してこの著者(大正生まれ)と対話する限り、如何に「彼ら」と「自分たち」の考え方が違うかがよく解ります。
非常に乱暴に要約すると、要するに剣道とは「日本の伝統文化を伝えるもの」(これはある程度そう思います)であり、今日の剣道の状況は「過度のスポーツ化」やそれによる「勝利至上主義」の弊害が至るところに散見されて「悲しむべき状況」であり(これもある程度そう思います)、そういった状況を是正し、古き良き時代の武道の精神、剣道の美しさを取り戻して、剣道を「正しい方向」に導いて行かなくてはならない(はいはい)、とまあそんな感じです。
15年以上も剣道を続けてきて感じるのが、特に年輩の指導者に多いのですが、「剣道修行を行うことによって、立派な人間、人格が形成される」という考え方が未だに広く信じられていると言うことです。この思想をより所にして、いわゆる「最近の若者」が堕落しているのは、古き良き日本、特に武道・武士道の精神が軽んじられているからだ、とまで言う人もいるし、実際本書にもそれと似たような記述がある。間主に言わせれば、それは疑いのない暴論だし、ただの懐古主義であって、全く根拠がない。例えば剣道では礼法・礼儀や姿勢・態度を極めて重んじるので、確かにそういう側面を取り上げれば、私達の日常生活に役に立つことはたくさんあるでしょう。でもそれは、例えば野球やサッカーなどのチームスポーツによって社会性を育んだり、陸上や水泳などの記録競技によって克己心を養ったりと、どんなスポーツでも私達の生活にフィードバックされていくものがあるし、また逆に、スポーツの中でいくらそういうことを形式的に続けても、それが全く身につかない人だってたくさんいます。武道が美しく、立派な「日本人」を育てる、というのは、かつては仏教などと同じようにそういった「芸ごと」というのが生活の一部としてあった、そういう時代の話であって、今、多くの人が「趣味」としてスポーツとして「愉しむ」ものであるという文脈の中に、必ずしもカッチリあてはまるはずがない、ということをそういう人達はまず考えてみる必要があるように思えます。
また、そういう「趣味」として剣道に興味を持った人が、どういう部分に「愉しみ」を見出すことが出来るか、ということもよく考えて頂きたい部分です。いわゆる「剣の道を究める」修行を、そういう人達が望むでしょうか? 間主も今週に1回子供たちに剣道を教えていますが、彼らが愉しさを感じる部分、練習のモチベーションを高めることが出来るのはやっぱり「試合をして勝ったり負けたり」という「スポーツ競技」としての側面だということを強く感じますし、その中から剣道に「ハマって」長く続けて行く子たちが育ってけば良いと思っています。これは自分が今まさに経験していることですが、いずれ試合とは別の剣道の魅力にシフトしていくし、その為に段級審査というものが存在するのですから。いずれにせよ、これは剣道に限ったことじゃないけれど、自分自身が「キツイ」と思うことをこなしていくためには、やっぱりそれなりの理由が必要なのです。試合に勝ちたいとか、4段に受かりたいとか。「立派な人間になりたい」では、そこまでのモチベーションになるとは、とても思えません。
「稽古」とは「古(いにしえ)を稽(かんが)える」ことであって、「懐古」とは違います。そこら辺のバランス感覚が、やっぱり大切なのではないでしょうか。(長すぎる)
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