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−間主の読書感想文集−
 大学3年まで、読書には一切興味ナシ。
 夏休みの宿題の定番「読書感想文」も、生涯で一度も自分で書いた経験0。
 ところが今では、バイトで本の校正をしている始末。
 読書癖をつけてくれた師匠に感謝しつつ、どうせならと、 20も半ば近くになり、未提出の読書感想文の罪滅ぼしをすることに。


過去の感想文→ 02 01


文学部唯野教授のサブ・テキスト
2003.12.9
『文学部唯野教授のサブ・テキスト』 筒井康隆
(1993年、文藝春秋)


文学部唯野教授の女性問答
『文学部唯野教授の女性問答』
筒井康隆

(1997年、中公文庫)


『文学部唯野教授』が剰りにも面白かったので、勢いで借りて読んでみました。が、「期待はずれだった」という意味ではなくて、自分の期待した内容の本ではなかった、そもそもそんな内容の本は存在しなかった、という意味で、特に読まずともよかったな、というのが率直な感想。
 簡単に言うと、長瀬智也が「桜庭裕一郎」っていうキャラでCDデビュー、音楽番組に出演したり、ラジオ番組持ったり、それと一緒。「キャラが立ってる」っていうのは小説が面白くなる上で大きな要素の一つであることには違いないのでしょうが、コナン・ドイルが早くシャーロック・ホームズを殺してしまいたかったように、作家にとってキャラが一人歩きしすぎてしまう、というのも困った状態のようです。まあ、当然のことだと思います。本編(『文学部唯野教授』)にて予告されていた後期の講義や、唯野教授自身が構築することを目指した文学理論が語られることは残念ながらもう無いけれど、それがどんなものなのか、その片鱗だけでも観たいという人は読んでみたらいいのではないでしょうか。本編自身がパロディで始まった小説なので、最後はパロディにて終わる(“ポスト構造主義による「一杯のかけそば」分析”)、というのが結果的にはよかったような気がしますし。
 それにしても、やっぱり「期待過剰」というのは何事に出逢う際にも好ましい状態ではないようです。



メディア・プラクティス
2003.12.8
『メディア・プラクティス −媒体を創って世界を変える』
水越伸・吉見俊哉編

(2003年、せりか書房)


『文学部唯野教授』を読んで以来、色々なところで「異化」作用なる言葉がキーワードになっているように感じる今日この頃。新しい単語を理解したことで世界が違って見える、なんて仰々しいものではありませんが、でも物事を説明する上での、今まで知らなかった言葉をもらったということは事実で、結構新鮮な体験だったりします。で、この本も今マイ・ブーム(←この言葉、もう死語だな)な「異化」という作業についての様々な実例について書かれたものでした。
 例えば電動ドリルでエレキギターを弾いてしまうように、モップやジッポで音楽を創ってしまうように、スプレーで壁に壮大な絵を描いてしまうように、舞台の上でなく街中で見ず知らずの人達を巻き込んで演劇を上演してしまうように。日常のモノ、既知のモノの中に、別世界が突然開かれる。メディアの「理論」を学ぶだけではなく、メディアで様々に遊ぶ=実践する。本書はメディアを使ったそんな「遊び」の様々な可能性が、多岐に紹介されています。
 思えば、自分は毎日インターネットと接しているけれど、その接し方って毎日杓子定規。この本を読んでみて、PCを本当に色々な方法で使っている人達がいるんだなあ、と改めて教えられました。このHPで、もっと色々遊べないかな? と思ったりしたのでした。



文学部唯野教授
2003.11.29
『文学部唯野教授』 筒井康隆
(2000年、岩波書店)


 いつの頃からでしょうか、いわゆる「頭がいい」と言われる、また自分自身がそう思う人達は、絶対に人間性のその他の部分をどこか犠牲にしていると思うようになったんですが、唯野教授に言わせるとそれは「大学」という制度の問題であるようです。まあそれはいいとして、つい一年前まで大学生だった人間にとっては、色々な意味で面白い本でした。まず、リアルすぎる。
 唯野教授の同僚たちを眺めていると、ついつい大学時代に自分が嫌いだった、もう名前すら忘れていた教授たちを次々に思い出すのが、まず何より面白かった。そして唯野教授を見ていると、今度は自分がお世話になったS先生やM先生を思い出し、また面白く、、、。だって唯野教授とそっくりなんですもの。特に「旧い」先生方との関係とか、彼らに対する感情、嫌悪感、批判っぷり等々。講義が学生に人気があるところもそっくりですね。自分も学生だったら、確実に唯野教授の「文学批評」の講座を面白がって熱心に受講している学生だと思います。もし学生時代にこんな講座があったら、もっと知識が増えていたかも。笑
 唯野教授の大学生活はリアルに笑え、講義の方は真面目に勉強になる。その他にもこの本、仕掛けというか、「バーチャル」な遊びがいっぱい盛り込まれていて(ちょっと読んだだけですが)、かなり愉しく読ませて頂きました。出来れば大学生の間に読みたかった。もっと面白かったに違いない。というわけで大学生の皆様は、是非読んで下さい。



週末起業
2003.11.18
『週末起業』 藤井孝一
(2003年、ちくま新書)


 このページの左上に、amazon.co.jpからのオススメ商品が表示されるようになっていて、リンクから本が買えるんですが、たまたまそこに表示されていて、興味を持ったので買ってみました。自分のHPで自分が本を買うっつーのは今考えると変な感覚かも。まあいいか。
 内容の方は本来サラリーマンの方々のために書かれた本なので、間主のような駄目人間生活を送っているものにとってはいきなり役に立つという程ではありませんが、いわゆる「ライフスタイル」というものに関して、今まで持っていなかった知見を与えられたように思います。自分自身が今そういうものに対して考えている最中であることもあり、参考になる部分は多かったです。
 それにしても、この本を発見した前日にああいう人達に出逢った(詳細は書きませんが)ことを考えると、世の中っていうのはやっぱり「縁」というものを軸に回っている気がしてなりませんね。うん。
 社会人になって間もない方々、読んでみると面白い、何かキッカケになるかもしれませんよ。



ためらいの倫理学
2003.11.17
『ためらいの倫理学
 戦争・性・物語』 内田樹

(2003年、角川文庫)


 受験勉強を経験したことのある人ならば、ほとんどの人が「読めるけど一向に理解できない日本語」というものに出逢った経験があるのではないでしょうか。
 そして、それに出逢った後の私達の「極めて普通の」反応は、「理解できないのは自分の学力が足りないからだ」という類の劣等感のようなものを感じるという身振りであるように思います。そこから、それを理解しようと努力を始めるか、「わからん」と投げ出すかで周囲の人達のその人に対する評価が分かれていくわけですが(一般的に前者は受験では「勝者」、後者は「敗者」と呼ばれます)、その時私達が「難しいから、解らないのが普通」とか「こんな訳のわからない文章を書いた人が悪い」と感じることはしてはいけないことになっているし、自分たち自身も、そういう反応を無意識に選択肢の中から除外しています。
 で、最終的に「それは実はこういうことなんだよ、簡単でしょ?」と誰かに言ってもらって「へえ〜」と納得した気になるワケなんですが、「物事がそんなに簡単なわけないでしょ」というのがこの著者。「世の中が如何に複雑で、そう簡単には理解できないものであるか」を極めてシンプルかつ解りやすい言葉で説明してくれます。「複雑な問題を単純化して理解しようとするよりも、「如何に複雑であるか」を知って複雑なままに話を進める方が生産性が高い」という考え方は、結構新鮮かもしれません。二項対立が非常に嫌いな間主にとっては、非常にしっくり来る考え方でした。
 活字だけの文章を読んで、吹き出してしまうような文章を書く人って、そんなに多くはないと思います。本を買わなくても、とりあえず著者のHPはオススメ。タダでゲラゲラ笑えます。

 → 内田樹の研究室



剣道の法則
2003.11.7
『剣道の法則』 堀籠敬蔵
(2002年、体育とスポーツ出版社)


 今月半ばに4段受験を控えているので、剣道に関する本は本当にたくさん読んでます(剣道の段位審査には筆記試験があるのです)が、その中から1冊選んでみました。
 始めに言っておくと、この本、段位審査の筆記試験対策としては、非常に有用です。これ1冊あれば、他の本を読まずともまず試験対策はバッチリだと思います。が、少なくとも一般の人にとってはそんなことはどうでもよろしい。関係ないからね。この本の感想を書こうと思った理由は、個人的にこの本から「剣道が停滞している理由」を読み取ったからなのです。
 別に間主は、そこまで剣道が「人気スポーツ」になって欲しいとは全然思っていませんが、本書を通してこの著者(大正生まれ)と対話する限り、如何に「彼ら」と「自分たち」の考え方が違うかがよく解ります。
 非常に乱暴に要約すると、要するに剣道とは「日本の伝統文化を伝えるもの」(これはある程度そう思います)であり、今日の剣道の状況は「過度のスポーツ化」やそれによる「勝利至上主義」の弊害が至るところに散見されて「悲しむべき状況」であり(これもある程度そう思います)、そういった状況を是正し、古き良き時代の武道の精神、剣道の美しさを取り戻して、剣道を「正しい方向」に導いて行かなくてはならない(はいはい)、とまあそんな感じです。
 15年以上も剣道を続けてきて感じるのが、特に年輩の指導者に多いのですが、「剣道修行を行うことによって、立派な人間、人格が形成される」という考え方が未だに広く信じられていると言うことです。この思想をより所にして、いわゆる「最近の若者」が堕落しているのは、古き良き日本、特に武道・武士道の精神が軽んじられているからだ、とまで言う人もいるし、実際本書にもそれと似たような記述がある。間主に言わせれば、それは疑いのない暴論だし、ただの懐古主義であって、全く根拠がない。例えば剣道では礼法・礼儀や姿勢・態度を極めて重んじるので、確かにそういう側面を取り上げれば、私達の日常生活に役に立つことはたくさんあるでしょう。でもそれは、例えば野球やサッカーなどのチームスポーツによって社会性を育んだり、陸上や水泳などの記録競技によって克己心を養ったりと、どんなスポーツでも私達の生活にフィードバックされていくものがあるし、また逆に、スポーツの中でいくらそういうことを形式的に続けても、それが全く身につかない人だってたくさんいます。武道が美しく、立派な「日本人」を育てる、というのは、かつては仏教などと同じようにそういった「芸ごと」というのが生活の一部としてあった、そういう時代の話であって、今、多くの人が「趣味」としてスポーツとして「愉しむ」ものであるという文脈の中に、必ずしもカッチリあてはまるはずがない、ということをそういう人達はまず考えてみる必要があるように思えます。
 また、そういう「趣味」として剣道に興味を持った人が、どういう部分に「愉しみ」を見出すことが出来るか、ということもよく考えて頂きたい部分です。いわゆる「剣の道を究める」修行を、そういう人達が望むでしょうか? 間主も今週に1回子供たちに剣道を教えていますが、彼らが愉しさを感じる部分、練習のモチベーションを高めることが出来るのはやっぱり「試合をして勝ったり負けたり」という「スポーツ競技」としての側面だということを強く感じますし、その中から剣道に「ハマって」長く続けて行く子たちが育ってけば良いと思っています。これは自分が今まさに経験していることですが、いずれ試合とは別の剣道の魅力にシフトしていくし、その為に段級審査というものが存在するのですから。いずれにせよ、これは剣道に限ったことじゃないけれど、自分自身が「キツイ」と思うことをこなしていくためには、やっぱりそれなりの理由が必要なのです。試合に勝ちたいとか、4段に受かりたいとか。「立派な人間になりたい」では、そこまでのモチベーションになるとは、とても思えません。
「稽古」とは「古(いにしえ)を稽(かんが)える」ことであって、「懐古」とは違います。そこら辺のバランス感覚が、やっぱり大切なのではないでしょうか。(長すぎる)



メディア・コントロール
2003.10.30
『メディア・コントロール
−正義なき民主主義と国際社会』
ノーム・チョムスキー、鈴木主税訳
(2003年、集英社新書)


 この本、今朝届いたんですが、もう全て読み終わってしまいました。それ程までに読みやすく、またどんどん読み進めたくなる内容に溢れていました。
 読みながら、本当に色々な事柄について考えさせられました。最初の『メディア・コントロール』ですぐに思い浮かんだのは、ちょっと前、小泉純一郎氏が自民党総裁になった頃に盛んに喧伝されていた、「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という言葉。間主は当時からこの言葉に極めて強い違和感と嫌悪感を持っていましたが、結局「大衆」と「知識人」との境界は何処にあるのか、ということ、そして、その構造とそれが果たしている機能、そういった「慣習」を徹底的に弾劾する、まずはそんな印象を持ちました。
 本書は、全体的にそのような「知識人批判」が一つの軸になっているようでした。個人的に「自分を「知識人」と自認している人間は知識人たり得ず、自分の無知を知覚している人間こそ「知識人」である」と思っているので(「無知」といわれて怒り狂う人は大衆であり、それを認めて学ぼうとする人は知識人の器がある、と思う)、著者の知識人たちの傲慢や怠慢に対する痛烈な非難はインパクトが強くて、「言うねえ。。」と思わず漏らしてしまいそうな程ではあるのですが、肝心の著者自身もやっぱり「知識人」として大衆を啓蒙しようとしているような印象も拭えないのが、読み終えた後にどうもスッキリしない原因かもしれません。結局彼自身も、彼自身が批判している人達と、「大衆は無知である」という土台を共有しているように感じられてしまいました。
 辺見庸氏による著者へのインタビュー(凡庸なインタビュアー(というと非常に失礼だけれど、そのように感じてしまった)のお陰で、あんまり話が噛み合わず、膨らんでいかなかったのが残念です)では、「重要なのは誰でも他人の犯罪については大きく取り上げるのに、自分の犯した罪を見ることはないということ」という趣旨のことを述べて、一緒にアメリカ批判をしようと日本からやってきたインタビュアーに、「日本人であるあなたはアメリカ批判の前にあなたの国がやってきたことをもっと告発すべき」という警告を与えている部分も非常に印象的で、これだけ過激なことを言ってアメリカでかなり「国賊扱い」されているのは、彼自身の自分がアメリカ人であるという強い自負から来ているのかもしれない、と妙に納得してしまいました。その反面、ならば自分の「知識人」というバックボーンについても、もう少し顧みる必要があったのでは、、、とも思ってしまいましたが、、、。
 とはいえ、自分自身にとってまず大事なのは、やはり「知る」ということではないか、と強く感じました。学校では余り教わることのなかった近現代史について、もっともっと勉強する必要があるなあ、と痛感した次第です。
(何だかこの本の感想だけ、やたら長い、、、)



この本のイメージ画像はありません。あしからず。 2003.9.30
『限界芸術』 鶴見俊輔
(1976年、講談社)


 ていうか、「芸術」って何?
 芸術と呼ばれるモノが基本的に苦手な間主は、そんな単純な興味から、鶴見俊輔という人物に出会いました。「芸術的だ」と「こんなの芸術じゃない」の境目は、何処にあるのか。「音楽」と、「こんなの音楽じゃない」の違いは何なのか。たった80ページ弱の論文ですが、これを読んで、以前よりはスッキリとした感覚になったような気がします。
 以前よりもスッキリとした原因は、おそらく今までよく解らなかったその境目の部分を彼がハッキリ定義したからではなくて、その曖昧な「境界」の部分に「限界芸術」という名前を与えたからではないかと思います。芸術を「純粋芸術」「大衆芸術」「限界芸術」という風に3段階に分類した(もちろん明確に分類しきることは不可能なのだけれど)彼の考え方は、「芸術なんてわからねーよ」と思っていた間主を何だか安心させてくれます。それは、以前に読んだブルデューの『メディア批判』の中でも触れられていましたが、「芸術(この場合は純粋芸術を指す)界」というのは全てがそこに住まう人々のみによって「自律」している空間なので、そんな人々から「これは君たちには理解できないよ」なんて高飛車に言われたところで、何のコンプレックスも感じる必要はなく、ただそいつを馬鹿呼ばわりしておけばいい、「核」はもっと違う部分にあるのだから、そんな安心感のように思います。
 柳田国男、柳宗悦、宮沢賢治を同じ軸の上に纏めて、個人的には「日本版カルチュラル・スタディーズ」の趣でした。ま、興味ある方はどうぞ。400円だし。



メディアが試された日
2003.9.19
『9月11日 メディアが試された日−TV・新聞・インターネット』
外岡秀俊 枝川公一 室謙二 編
(2001年、大日本印刷ICC本部)


 2001年9月11日、日本の時間で午後10時頃。
「世界が変わった」なんてドラマティックに形容されるあの時、間主は友人宅に泊まりこんで、翌日朝一に予定されていた研究発表の準備に必死でした。んで、テレビに「あの」映像が流れていて、「今日は何の映画がやってたっけ?」なんて友人と話していた。そうしたらいきなり筑紫さんが出てきて、また同じ映像が流されて、いくらチャンネルを変えても同じ景色が映ってて。翌朝は、ゼミ中がその話題で持ちきりで、色々な観測が誰からともなくでて、でも研究発表は予定通り行われて。自分の発表がおわったあとは睡魔が一気に襲ってきて、全てが終わった後はいつも以上にお酒を飲んで、結局家に帰ったのはその翌日で、、、。
 この本は、自分にとってはそんな「あの日」に、色々な人達は色々な場所でなにをしていたのか、ということを並べて記録することで、「あの出来事」を振り返る本です。そういえば、「あの当時」は色々なメールが色んな人から送られてきて、「世界がもし100人の村だったら」みたいなチェーンメールや、飛行機が突っ込む直前にWTCの屋上で撮られた、なんて合成写真が出回って、ブッシュの議会演説に対するスタンディング・オベーションが、北朝鮮の全人代みたいだ、とかいう感想を持ったりして、、、。そんなことを思い出させてくれる本です。
 そうやって思い出さないと、忘れて行く事って本当に多い。忘れてしまったらまずいなあ、と心では思っているのに。だからこそ、「本」という媒体が存在するのかもしれません。
「あの日」、何してました? 忘れてしまった人、思い出したいけど思い出せない人は、是非読んでみて下さい。



サブカルチャー世界遺産
2003.9.3
『サブカルチャー世界遺産』
サブカルチャー世界遺産選定委員会
(2001年、扶桑社)


 本と言うよりは、「図鑑」と言うべきだと思います。自分たちがこの年まで触れ、共に過ごしてきた漫画やゲーム、音楽などが「日本におけるサブカルチャーとは?」というテーマのカタログに並べられています。自分が慣れ親しんできたモノ(スーパーマリオやドラゴンボールやとんねるずやJ-POPバンドなど)たちがどういう風にカテゴライズされているのか、それを眺めてみるだけの本。
 もちろん全部を知っているわけはないし、「なんでこれが入っていないのだろう?」という選定への疑問もあるし、またまた全然意味不明な解説と感じるモノもありますが、それも全部ひっくるめて「カタログ」ですから。既に知っている、体験してきたモノは自分の中で評価しておけばそれが一番正しいし、知らなくて、この図鑑が興味を持たせてくれたモノはこれから触れてみればいい、ただだけの話です。
 どっちにしろ、この本の最初にあるように「サブカルチャーは死んだ」ので、この本も過去の商品を懐かしむカタログ以上の意味はありません。安定と裏切り。これからもそのイタチごっこが続いていくのだと思うし。その中で誰が何を良いと思うか、それだけの話だと思います。

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