一番大切なとこって?
その昔、俺が小学校通いよったとき
誰かからこんな質問をされた
「身体の中で一番大切なとこって、どこでしょう?」って
そんとき俺は、また俺を含めた周りの小学生たちは、
心臓が一番大事なもんだって思っていた
誰かが先生とか大人から聞いたんだろうが、
「心臓がなくなったら死ぬんじゃってー!」とか言って、
単純だった俺たちは、それだけで心臓=命だと思っていた
(数字の大きさを競うとき、最後に誰かが絶対、「じゃ俺、ムリョータイスー(無量大数)!!」って言うのとおんなじ感覚)
初めの質問に戻ろう
「身体の中で一番大切なとこって、どこでしょう?」
この問いに対し、当時の俺は当然こう答えた
「心臓に決まっちょるじゃん。心臓なくなったら人は死ぬんよ?」
そんな単純なことしか言わない俺に、出題者は素晴らしい提言をした
「でも脳がなかったら何も考えられんのよ?機械みたいになるんよ?」
しかし俺も食い下がった
「でも脳があっても、死んじょったら何も意味ないじゃん?」
「・・・」
「・・・」
当時の小学生たちはこんな哲学的な問答をし、
命と脳、どちらが人の身体に大切か、一日中悩んでいた
しかし次の日にはそんなことも忘れて、
ドラゴンボールの話を熱く語っていた
当時の彼らには難しすぎる問題だったのだろう
ならば、今こそ俺たちがその問題を考えてみようではないか
ではまず、脳みそがなくなったら(脳が死んだら)どうなるだろうか
もちろん、記憶も思い出も、何もなくなる
考えることもできなくなる
ただ身体は存在し、
全身に血が流れる
はたしてこのような状態を、「命」と呼ぶことができるのだろうか・・・?
そこはとても難しいところだろうが、
そんな「身体」を、その人としての「存在」を、
いつまでも見守る人もいるかもしれない
話しかけても、何も答えてはくれない
わがままも言わなければ、ため息も漏らしてはくれない
しかしそれでも、ただ見守る人がいるかもしれない
もしかすると、この見返りを求めない慈悲こそ、本当の愛なのかもしれない
・・・いや、ただそこにある「存在」に寄りかかることで、
次に踏み出さないで、その頃の自分のまま逃げようとしているのかもしれない
その人が何も答えないことをいいことに、
ただその「存在」に甘えているだけなのかもしれない
どちらにせよ、どうしようもなく大変な問題になり、
脳のなくなった本人ではなく、
他の誰かが苦しまなければならないのは確かだろう
では今度は、心臓が死んだらどうなるだろうか
10年前ではどうか分からないが、
今は時代が時代なだけに、「人工心臓」というものが使えるかもしれない
本来なら「死ぬはずだった者」が、人の手によって「生かされる」のだ
その人は何を考えることもできるだろうし、
笑ったり、泣いたり、まさに生きてる「よう」であろう
しかしこのような「死ぬはずだった」人間を、機械の力で生かすのならば、
それは人造人間への第一歩ではないか、という問題が生じるだろう
確かにこのような技術を許すと、「命」というものが何なのか、全く分からなくなる
死んだ者が生き返ることができるのだから、
少なくともそれまでの「命」よりは、軽い「命」になってしまうことだろう
しかしそんなことを言ったら、「医療」というものさえ否定することになってくる
どちらにせよ、「命を救う」ということが
大変な問題になってくることだろう
・・・
やはり今の俺は、あの頃の俺とおんなじ、
何も答えられないようだ
ではここで、これを読んでいる人にも考えてもらいたい
「身体の中で一番大切なとこって、どこでしょう?」
この質問に平然と
「チ〇チ〇」
と答えられる人こそ、
一番、この問題の本質を理解している人かもしれない
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